もっと感情を開放してあげようとおもう
むかししてた創作活動をまたしたくて、絵を描いたり、ポトレしたり、あまりふだんかかわらない(ようにしていた)人たちとかかわったりしたい。
ななは、感情を開放するのがこわいんだとおもう。
自分の醜いきもちがあふれだすのがこわいんだとおもう。
でも、感情はなにもことばじゃなくていいのでは?と、ふとおもった。
誰かにわかってほしいというきもちをたとえば絵に込めても、気づく人は気づくし、そこになんの意味も見いだせないという人は見いだせないんだろうし、だれも傷つけないし。
なにより、ななたんがななたんでいるために、むかしやってたみたいにもっと素直になればいいじゃん。なに尻込みしてるんだろう。
とりあえず一年前に描いた風景画のせておきます。
故郷の町のコスモス畑。
花姿が恵まれていることから、秩序という花ことばが有名なコスモス。ななは、コスモスはかわいくてすきだけど、秋がきたなぁ、ってすこししんみりするので、ふくざつなかんじになるかな。